「もはや戦後ではない」と経済白書に記されたのは、昭和31年(1956)、太平洋戦争終結から、11年が経っていました。 そうは書かれたものの、当時はまだ、戦争の記憶は色濃く残っていました。戦争を闘った世代も、まだ現役だった頃です。
令和8年(2026)、その昭和31年も、遠い昔のことになっています。
かっちゃん戦後も80年以上経つと、本当に「戦後」という意味自体が実感できないですね。
戦争中、わが国は米軍による、大規模な空襲に晒されました。特に大都市、東京は米軍の「焦土作戦」のために一面を焼野原にされてしまいました。
そして、何もかも焼き尽くされた日本の、そこからの奇跡の復興は、特筆されるべき偉業でした。



一面の焼野原から、20年足らずで、新幹線を通して、オリンピックを開催したなんて、本当にスゴイ!



先人の苦労の賜物ですね。
各地に残っていた戦争の爪痕は、怒涛の再開発の洗礼を受けて、高度経済成長期が終わるころには、ほとんど消えてしまいました。特に建て替えや再開発の頻度が激しい東京などの大都市では、戦争の記憶を呼び起こすようなものは皆無と言ってよいでしょう。



しかし、よく観察すると、まだまだ戦争の痕跡が残っている場所があるんです。
今回は東京、それも東京の「ど真ん中」、「銀座」に残る 戦跡 の お話です。
地価日本一! 銀座鳩居堂前
地価(正確には路線価)日本一として、長年不動の地位を誇るのは、東京のど真ん中、銀座4丁目交差点にほど近い、「鳩居堂」前。 公示地価では「山野楽器」前、となっていますが、この違いはややこしくてよくわかりません。



銀座の「鳩居堂」前の地価が日本一! というニュースは、毎年、恒例になっていますね。
とにかく、日本で一番土地が高いのは銀座4丁目付近ということだけは確かです。
私は、伝統あるボードゲームの定番、モノポリーが大好きなのです。知っている人がいれば、わかると思いますが、モノポリーでいえば「ボードウオーク」ですね。
実際、モノポリーの日本版で一番高い土地、「ボードウォーク」の場所が「銀座」になっています。
2025年度の路線価は何と4,808万円 / ㎡。 はがき一枚分の広さの土地が約71万円という、とほうもない価格です。
そして、そんな移り変わりの激しい東京のど真ん中、地下日本一の場所に太平洋戦争中の傷跡が残っていると聞いて行ってみました。



ここには、奇跡的に空襲を逃れた、「服部時計店」が戦前から残っている、唯一の建造物と思われますが・・



建物に焼けた跡が残ってるとか??



確かに、服部時計店には、何か残っているかもしれませんね。でも今回行ってきた場所はそこではありません。


銀座のど真ん中に残る空襲の爪痕!!
場所は銀座のシンボル「服部時計店」、晴海通りを渡って「三愛ビル」(2026現在 建替中)「鳩居堂」「TASAKI」と、名にし負う名店がひしめく銀座4丁目交差点付近です。
鳩居堂とTASAKIの間の路面がその一か所だけ、周囲より少し低くなっているところがあります。



普通に歩いているとわかりにくいのですが、この場所を車に乗って通過すると、そこだけスゥッっと身体が沈み込むのでよくわかります。
写真でみる場合は縁石の高さを見るとよくわかります。この場所だけ縁石が高く(路面が低く)なっているのが確認できるかと思います。


この部分だけ道路が凹んでいるので縁石が高く見える
この場所が昭和20年1月27日、B29から投下された500kg爆弾が直撃した場所だということです。
この時の空襲で当時の鳩居堂は焼失してしまったとのことです。
以下、中央区のHPより、銀座空襲の画像を紹介いたします。




この道路の直下には東京メトロ(当時は営団地下鉄)銀座線が走っていて、ちょうど中央通りと並行に地下鉄の銀座駅のホームが横たわっています。
銀座線は戦前から営業している最古の地下鉄なので、今のようなシールド工法で都市の深部に敷設された地下鉄と違って、地上から穴を掘る「開削工法」が用いられているので、道路のすぐ下を走っています。



実際、地下鉄入口からホームへの階段を下りていくと、すぐ下のホームに到達できるのが、新しい地下鉄とは違いますね。
鳩居堂を焼失させた爆弾の影響は、この直下を走る地下鉄にも被害を及ぼしました。大きな穴が開き、ホームにいた人達を巻き添えにしたということです。
ただ驚くべきことは、爆撃によって線路に支障が出て、犠牲者も出ているにも関わらず、後かたずけを終えて数時間後には電車は通常運行を再開したということです。



戦時中という非常事態下だったこともあるけど、無謀というか、たくましいというか・・・



ちょっとした異音があると、点検のため止まってしまう現在からは想像もできませんね。
直下の銀座線ホームに行ってみました。
鳩居堂前の爆撃地点の直下は銀座駅ホーム(島式)の渋谷側の先端になります。以前はカバーがされていて、見ることができなかった戦災の跡が改装中で見えるようになっていると聞いたからです。



ホームの端まで行って目を凝らすと、規則的に並ぶ天井の構造物が、一か所だけ違う形をしていて、他の場所にはない鉄骨の梁のようなものを打ち付けてある箇所があいました。





最初この場所の話を聞いた時、路面の陥没なんて埋めればすぐに修復できるのでは? と、思ったのですが・・
このあたりの道路は銀座線のトンネルを形成する鉄骨とコンクリートでできた箱の上にあります。
その土台となる固い箱状のトンネルの枠組みが破壊され、それを応急処置で修復したため、その歪みが道路に影響して、今日まで残っていると思われます。
建築の規制が厳しい欧州等と比べ、日本は、特に都市部は、目まぐるしく変化してしまい、古くからの物があまり残っていません。建物はもちろん、最近の再開発では、地形ごと変えてしまうことも珍しくありません。
そんな東京のど真ん中にも、人知れず残り続けている戦争の痕跡があるんですね。
当然ですが、街を歩く人たちのほとんどは、そんな痕跡には意識もせずに、ショッピングを楽しんでします。



興味のない人からすれば、どーでもいいことなんですが、私はこういうものに魅かれてしまいます。



いつまでも、平和にショッピングが楽しめる街であってほしいね。




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