地価日本一 東京のど真ん中に戦跡があった!!

銀座4丁目 昭和 懐古

地価日本一 銀座鳩居堂前

地価(正確には路線価)日本一として、長年不動の地位を誇るのは、東京のど真ん中、銀座4丁目交差点にほど近い、「鳩居堂」前。 公示地価では「山野楽器」前、となっていますが、この違いはややこしくてよくわかりません。 とにかく、日本で一番土地が高いのは銀座4丁目付近ということだけは確かです。
ボードゲームの定番、モノポリーでいえば「ボードウオーク」ですね。 
(実際、バブルの頃だったか・・記憶は定かでありませんが、モノポリーの日本版で一番高い「ボードウォーク」の場所が銀座でした。
2019年度の路線価は何と4,560万円 / ㎡。 はがき一枚分の広さの土地が65万5千円という、とほうもない価格です。

移り変わりの激しい東京、そのど真ん中。地下日本一の場所に太平洋戦争中の傷跡が残っていると聞いて行ってみました。

銀座のど真ん中に残る空襲の爪痕!!

銀座のシンボル「服部時計店」。晴海通りを渡って「三愛ビル」「鳩居堂」「TASAKI」と、名にし負う名店がひしめく銀座4丁目交差点付近。鳩居堂とTASAKIの間の路面がその一か所だけ、ボコッと低くなっているところがあります。普通に歩いているとわかりにくいのですが、この場所を車に乗って通過すると、そこだけスゥッっと身体が沈み込むのでよくわかります。

写真でみる場合は縁石の高さを見るとよくわかります。この場所だけ縁石が高く(路面が低く)なっているのが確認できるかと思います。

この場所が昭和20年1月27日、B29から投下された500kg爆弾が直撃した場所だということです。
そして空襲で当時の鳩居堂は焼失してしまったとのことです。実際の空襲時の画像もネット上で確認できます。炎上中の鳩居堂とか、この場所に大きな穴と瓦礫の山ができているものとか。

道路の直下には東京メトロ(当時は営団地下鉄)銀座線が走っていて、ちょうど中央通りと並行に地下鉄の銀座駅のホームが横たわっているかたちになります。
銀座線は戦前から営業している最古の地下鉄なので、今のようなシールド工法で都市の深部に敷設された地下鉄と違って、地上から穴を掘る「開削工法」が用いられているので、道路のすぐ下を走ってることになります。
実際、地下鉄入口からホームに階段を下りていくと、すぐにホームに到達できるので切ることがわかります。

鳩居堂を焼失させた爆弾の影響は、この直下を走る地下鉄にも被害を及ぼしました。大きな穴が開き、ホームにいた人を巻き添えにしたということです。
ただ驚くべきことは、爆撃によって線路に支障が出て、犠牲者も出ているにも関わらず、後かたずけを終えて数時間後には電車は通常運行を再開したということです。
戦時中という非常事態下だったこともあるでしょうが、無謀というか、たくましいというか・・・。
ちょっとした異音があると、点検のため止まってしまう現在からは想像もできませんね。

直下の銀座線ホームに行ってみました。鳩居堂前の爆撃地点の直下は銀座駅ホーム(島式)の渋谷側の先端になります。以前はカバーがされていて、見えなかった戦災の跡が改装で見えるようになっていると聞いたからです。
ホームの端まで行って目を凝らすと、規則的に並ぶ天井の構造物が、一か所だけ違う形をしていて、他の場所にはない鉄骨の梁のようなものを打ち付けてある箇所があいました。
ただ、改装が始まった頃に撮られた方の画像は、元のコンクリートのままなので、その違いがよくわかるのですが、私がいった時には改装が終わり、真っ黒に塗装されていて、はっきり撮影できませんでしが・・・。

最初この場所の話を聞いた時、路面の陥没なんて埋めればすぐに修復できるのでは? と、思いましたが、このあたりの道路は銀座線のトンネルの鉄骨とコンクリートの箱の上にあるので、その土台となる固い枠組みが破壊され、応急処置で修復したため、その歪みが道路に影響してしまって、今日まで残っているのだと思われます。

建築の規制が厳しい欧州等と比べ、日本は、特に都市部は、目まぐるしく変化してしまい、古くからの物があまり残っていません。建物はもちろん、最近の再開発では、地形ごと変えてしまうことも珍しくありません。
そんな東京のど真ん中にも、人知れず残り続けている痕跡があるんですね。
興味のない人からすれば、どーでもいいことなんですが、私はこういうものに魅かれてしまいます。
往事を偲んだり、想像したりして街を歩くのって楽しいですよね。


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