上野駅の喧騒がうそのような「桜木」周辺を歩いてみた

東臺門 昭和 懐古

東臺門というトンネルがある

京成本線のターミナル駅である上野駅はJRの駅から離れた地下にあるためアクセスが悪く、成田方面に行く多くの人は他路線からの乗り換えが便利な日暮里駅や都営地下鉄から乗り入れる人がほとんどです。
その為、京成上野駅はターミナル駅、そして繁華街「上野」を控えているのにローカルな、置き去りにされた感が漂う駅です。

上野地下駅を発車した電車は「上野のお山」といわれる台地の地下を抜け、上野桜木あたりでトンネルを抜けて地上に出ます。このトンネルの中には1997年まで営業していた「博物動物園駅」と1947年まで営業していた「寛永寺坂駅」二つの廃駅があります。

このトンネルの出口の上に古めかしい扁額がかかっています。

扁額は御影石製らしいです。右横書きで「東臺(台)門」 これは上野のお山全体が元々寛永寺の敷地であり、寛永寺の山号である「東叡山」のある台地にある門(出口)という意味らしいです。

ちなみに東叡山は東の比叡山という意味で、東京(江戸)の街作りにあたって、京都をお手本にした為、京都の鬼門の方角にあった比叡山延暦寺に倣い、江戸の鬼門にあたる方角に寛永寺を置いたことに由来します。

揮毫したのは当時の京成電気軌道社長の本多貞次郎で扁額の左側に縦に「昭和八年」そして彼の署名が入っています。(実際、訪れた際は昭和八年は容易に読めましたが、署名はよくわかりませんでした)

上述した「寛永寺坂駅」はこのトンネルの出口付近にあったといいます。この駅の地上駅舎は終戦直後に使われなくなったのにも関わらず、その後運送会社の事務所のようになっていて、2016年まで現存していましたが今はコンビニになってしまったようです。

寛永寺坂駅地下部分の遺構

以前に訪れた際は、駅舎跡の事務所の横に国旗掲揚台のコンクリート(?)の台座だけが残っており、表に「国威宣揚」横に「皇紀2600年記念」後ろに「昭和16年12月8日」と真珠湾攻撃の日付(開戦記念日)が刻まれていました。
きっと駅前の広場的な場所だったのでしょう。

寛永寺坂駅の駅舎跡が取り壊されてコンビニになったことで、当然あの国旗掲揚台も撤去されてしまったと思いきや、何とコンビニの裏手に移設されて残っているそうなので近々、再訪してみようと思います。

博物館動物園駅は1997年まで営業していたので入場したこともあるし、イベント等で臨時に入れる機会もあります。駅のホームもそのまま残っている為、電車に乗っていると中からホームや駅の跡を確認できるのですが、寛永寺坂駅は戦時中に使われなくなった為、謎が多いです。 ホームはもうなく、電車の中からだとトンネルを出る直前に資材置場のようなものが一瞬見えて「あそこが駅の跡かな」と思えるくらいです。

ネットで検索すると、開業していた時の写真があって、確かに運送会社の事務所だった時の窓の位置とかが一致してることがわかるのですが、せめて事務所があったとき内部とか地下に行く通路の様子とか公開して欲しかったなあと思います。

他に地上に向かう階段の上に右横書きで「口出」と表示されてる画像があるのですが、不鮮明な画像だし、それが今もあるのかわかりません。

神田の「万世橋」駅の遺構も近年になって公開されて整備されましたが、そんな機会が寛永寺坂駅にもあればいいですね。 地下への通路は塞がれてしまったんでしょうか? あのコンビニの中に地下へ続く秘密の扉があったら面白い!!

東臺門の扁額や、戦前の遺構・・・。
上野桜木は空襲で焼け残った場所でもあり、寛永寺や恩賜公園、美術館、博物館と戦前からの文化、教養、権威のあるエリアなので「帝都 東京」を色濃く感じます。散策にお勧めの場所です。「上野」の喧騒が嘘のような静かで趣のあるところですよ。

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