戦前の東京35区の時代
東京都は第二次世界大戦中の昭和18年に生まれました。 それ以前は東京府であり、都市部が東京市で残りが府下、東京市は35区(昭和7年~)に分かれていました。古い小説を読むと当時の「麹町区」とか、「下谷区」なんて地名が出てくることがあります。私の記憶では江戸川乱歩の小説などでよく見た気がします。
東京都の都章は東京市時代の市章をそのまま引き継いでます。でも最近はイチョウのようなマークの方がよく使われますね。あれずっと「イチョウ」をモチーフにしたマークだと思ってたんですが、実はTOKYOのTを図案化したものらしいです。 でもなんかピンときませんね。やはりイチョウに見えます。
この古い35区制の地名はもちろん現在は使用されていないのですが、古くから残る街、特に戦時中に空襲を逃れた地域に残っている古い民家などに奇跡的に旧住所表示のプレートが残っていたりします。
私は埼玉から日本橋に通勤しているのですが、仕事が早く終わった時など、会社から上野駅まで歩いて帰るのが好きです。 30~40分、日によって違う路地を通って面白い店や古い建物を見ながら歩くのです。気分転換にもなりますし、軽いウォーキング感覚で気持ちいい。そして、こんな店があったのかとか、怪しげな建物を発見したりできるのが何よりも楽しいです。
その中でも特に好きなのが、台東区鳥越とか小島のあたり。このあたりは東京大空襲で奇跡的に焼け残った地域であり、あまり大規模な再開発もなかったことから、戦前からの店や街がまだ残ってます(とはいっても、新しいマンション等は毎年増えて、もはや風前の灯ですが・・)
終戦直後の航空写真をみると、ほんとにこの界隈だけが黒く屋根が写っていて、周りはすべて真っ白、灰塵に帰していてほんとうに「奇跡的」だったのがわかります。
鳥越の、古そうな民家をよーく観察してみていたら・・・。
ありました!!
いかにも古そうな民家の玄関の上の梁に左読みの旧字体で「浅草区」の住所表示があります。いつ建て替えが始まってもおかしくないような古い民家です。これが見られるのもあとわずかでしょう。2013年には最後の同潤会アパートである「上野下アパートメント」も新しいマンションになってしまいました。せめてこのプレートだけでも大事にしてもらいたいと思います。
鳥越には「おかず横丁」という商店街もあり、閉店してしまった店も多いものの、古くからの佃煮屋さんとか、昭和初期の看板建築の店舗なども現役で残っており、散策するのが楽しい街です。最近は空き店舗や閉店してしまった古い家を使って、おしゃれな雑貨等を売るところも増えてきました。 貴重な「街の風景」、いつまでも残っていてほしいものです。
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