「朝早く起きる人」でイメージするのはどんな職業の人でしょうか?
今は24時間空いている店も珍しくないので、大きな都市であれば、早朝でもそれなりに人の往来があります。夜勤の帰りの人もいます、早起きして仕事する人だと、市場関係や、仕込みをする飲食業の方でしょうか?
最初の東京オリンピックがあった昭和39年(1964)、NHKの「みんなのうた」で一つの歌が放送されました。
それが「あさいちばんはやいのは」です。
かっちゃん子供の目線で早朝から仕事をする職業を歌っています
この歌では、「あさいちばんはやい人」(職業)として、
1番はパン屋のおじさん、2番は豆腐屋のおじさん、3番は牛乳配達の人、4番は新聞配達の人を歌っています。
そして、5番のみ、「あさいちばんおそいのは」として、寝坊する自分のお兄さん・・ というオチになります。
話はそれますが、この歌、最近は2番が抜かされて歌われることが多いといいます。 おそらく、歌詞の中で、豆腐屋さんが「はげ頭のおじさん」と、描写されている点が現在では問題になるかららしいです。「ルッキズム」とかの問題ですね。うーん、小さな子供の目線で歌われるているこの歌に、「はげ」を馬鹿にする気持ちなんて全くないと思います。



「言葉狩り」の問題というか、そこまで目くじら立てたり、過剰に反応して控えるみたいなのってちょっと違うなぁ、と感じます。
本題に戻ります。この歌は最近でも幼児向けの番組で流されているようです。しかし・・・



今の子供達に実感としてわかるのかな?
と、感じます。 「パン屋さん」とか、「豆腐屋さん」とか、 古い商店街に住んでいる子ならわかるんでしょうね。
あと、新聞屋さんも、ネット購読が増えて少なくなったものの、今も、早朝に朝刊を配っている光景を見ることができます。
しかし、「牛乳屋さん」の配達はめっきり見なくなりました。この歌にも歌われているとおり、当時、早朝の住宅街の風景には「新聞配達」と同じくらい「牛乳屋さん」が見られたのです。



牛乳配達はなぜ消えてしまったんでしょう?
朝食には「牛乳屋さん」が配達した「瓶」の牛乳が必須だった!
牛乳の宅配自体は今でもあります。ただ、最近では、牛乳だけではなく、各乳業メーカーが開発した、ヨーグルトや栄養食品、サプリメントなども配達しているようです。保冷技術も向上したので、現在は、週1~2回の頻度です。配達も自動車が主流みたいですね。



高齢者世帯には、重たい飲料の運搬が不要だし、重宝されているみたいです。



高齢世帯の見守り効果もあるらしいぞ。
姿を消してしまったのは毎朝の牛乳配達です。昭和50年くらいまでは牛乳といえばほとんどの家庭が毎朝、「牛乳屋さん」が配達してくれた牛乳(当時はガラス瓶でした)を飲んで、飲み終わった、空き瓶を回収してもらうというスタイルでした。たいていは、自転車を使った配達で、早朝は新聞配達と並んで牛乳屋さんの瓶の「ガチャガチャン」の音から始まるというのが、日常の光景だったのです。




上述した、「あさいちばんはやいのは」の歌の中で、牛乳屋さんを歌っている部分の歌詞は
♬その次は牛乳屋さん、眼鏡のにいさん、カチャカチャカチャ 自転車で、牛乳を配る カッチャカチャ、カッチャカチャ、
と、描写されています。ここが、現代の子供達にはわかりにくいところなのです。牛乳屋さんの音として、「カッチャカチャ」と、いうのは・・



この時代を知っている人にとっては、説明されなくても自転車に乗せた木製の牛乳ケースの中でガラス瓶がぶつかりあう音だとわかります。
高度経済成長時代が終わったころから、自動車の普及に伴う、大型スーパーの台頭と郊外型店舗の増加、保冷技術の進歩などによって、日本人の日常の買い物のスタイルは大きく変わりました。
牛乳はスーパーで1リットルの紙パックで購入するのが普通になりました。これは軽くて輸送しやすいパッケージの進化と、冷蔵庫の大型化等に依るところが大きいと思います。ガラス瓶は姿を消していき、紙製のテトラパックを経て、四角い紙パックが主流となりました。
昭和40年生まれの私の年代だと、給食の牛乳が、小学校の低学年くらいの頃はまだガラス瓶でした。高学年になった頃はテトラパックになった感じです。





低学年の児童にとっては、給食当番の時、牛乳の重さに閉口したものです。何せ分厚いガラスの牛乳瓶、箱も重い木箱、1クラスの人数が今とは違って45人とかいた時代でしたから・・
低学年では一人で木箱を持つことができず二人がかりで運んでいたのを思い出します。 テトラパックになった時はほんとに軽く感じたものです。


©Toy Garage 様の商品画像より
宅配の場合、近所の牛乳屋と契約すると、木製の「森永牛乳」とか「明治牛乳」とか会社名や商品名が入った「牛乳受」が支給され、毎朝の宅配、空き瓶の回収はその牛乳受箱を通して行われていたのです。現在はプラスチック製のようですね。




昭和の団地は「牛乳受」が 標準装備だった⁉
当時の団地などの集合住宅ではこの牛乳受が、標準装備されているところが多かったようです。それだけ毎日、牛乳配達をしてもらう家庭が普通だったってことですね。
近所の団地でその名残りを見つけました。この団地は昭和48年に建ったらしく、公団団地の中では比較的後期の団地です。
階段を見てみると。各戸の玄関の前の壁にに小さく四角の切れ込みが入った個所があります。


拡大すると・・・




何回もペンキを塗りなおされていますが、はっきりと「牛乳受」の文字が見て取れます。
現役時代はどんな感じだったんでしょうか? 古くから住んでる方に聞いてみましたが、「うーん、あんまり覚えてないな~」とのこと。そりゃそうです。みんなこんなものに興味がないのが普通ですよね。



この団地が昭和48年に建ったとすると、やはり昭和50年くらいまでは「牛乳受」は必須アイテムだったことがわかります。
200mlの牛乳瓶が3~4本入る感じでしょうか。ちなみに当時でも大家族の家は1リットルのホームサイズの牛乳瓶をとっている家庭がありました。1リットル瓶はとてもずんぐりしたフォルムで、これは牛乳受に入らないので、直接地面に置かれていました。



あの1ℓの瓶、子供の頃、ちょっとあこがれでした。
ガラス瓶の牛乳は、今でも駅のスタンドや銭湯等で扱っているのですが、見るとつい買ってしまうことがあります。瓶の牛乳って中身は同じでも、なんか美味しい感じがしますよね。もっとも、今のガラス瓶は昔の厚紙のフタにビニールがかけてあるものとは違って、スクリュータイプのキャップなんですけどね。
牛乳受が必須だった時代は、日本がどんどん豊かになった時代でしたが、まだ戦後の栄養不足の時代の名残りで、牛乳は、滋養のあるものを接収して健康を増進しようという、栄養ドリンクとしての位置づけもあったのかなと思います。
「あさいちばんおそいのは」の歌のように、「カッチャカチャ」の音で、「ああ、もう朝だ、寒いなー、起きたくないなぁ」なんて思っていた。子供の頃の思い出が一気によみがえってきました。近所の健康ランドに行って、瓶の牛乳を飲みに行きたいと思います。


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