現在の東京都は、「区部」と呼ばれる、中心の23区と多摩地域を中心とした26市と3町1村、そのほかに島嶼部からなっています。
明治維新の遷都によって江戸は「東京」になり、「東京府」がおかれました。明治11年(1878)市街地に15区がおかれたようです。その後、明治22年(1889)東京市が発足します。その後は、関東大震災によって、一時的に人口が減少したこともありましたが、東京の人口は右肩上がりで増加し、市街地は郊外へと伸展していきました。
東京市 戦前の35区の時代
かっちゃん昭和7年(1932)には、中心市街地が35区になりました。





最初に区になった、中心の15区が、細かいのね。



練馬区は無くて、板橋区と一緒だったんだね。
都市部が東京市で多摩地区は「府下」と呼ばれていました。古い小説を読むと当時の35区制時代の「麹町区」とか、「下谷区」などの地名が出てくることがあります。



私は、江戸川乱歩の小説に出てくるイメージがあります。
現在の東京都は、戦時中の昭和18年(1943)に首都の行政機能を強化する目的から発足しました。戦後、昭和22年に22区に(1947)、すぐに練馬区が板橋区から分離して、現在の23区となります。
東京都の都章は現在でも、東京市時代の市章をそのまま引き継いでます。(下図左)しかし、最近はイチョウのようなマーク(下図右)の方がよく使われています。



あれをずっと「イチョウ」をモチーフにしたマークだと思ってたんですが、実はTOKYOの「T」を図案化したものらしいです。



「T」の字・・なんかピンとこない。。 やっぱりイチョウに見えるよ。




東京市 35区時代の地名プレートが残ていった⁈
古い35区制の地名は、もちろん現在は使用されていません。しかし、古くから残る街、特に戦時中に空襲を逃れた地域に残っている古い民家などに奇跡的に旧住所表示のプレートが残っていたりします。
以前の勤務先が日本橋だったのですが、仕事が早く終わった時など、会社から上野駅まで歩いて帰っていました。 30~40分、日によって違う路地を通って面白い店や古い建物を見ながら歩くのです。気分転換にもなりますし、軽いウォーキング感覚で気持がよかったです。



こんな店があったのかとか、怪しげな建物を発見したりできるのが何よりもの楽しみでした。
その中でも特に好きだったのが、台東区鳥越とか小島のあたりでした。このあたりは東京大空襲で奇跡的に焼け残った地域であり、あまり大規模な再開発もなかったことから、戦前からの店や街がまだ残ってます



とはいっても、新しいマンション等は毎年増えて、もはや風前の灯ですが・・。
終戦直後の航空写真をみると、ほんとにこの界隈だけが黒く屋根が写っていて、周りはすべて真っ白な灰塵に帰していてほんとうに「奇跡的」だったのがわかります。
会社帰りに、鳥越の、古そうな民家の軒先に、ありました!
左読みの旧字体で「浅草区」の住所表示のプレートです。


いつ建て替えが始まってもおかしくないような古い民家でしたので、今も残っているのかわかりません。
2013年には最後の同潤会アパートである「上野下アパートメント」も新しいマンションになってしまいました。せめてこのプレートだけでも大事にしてもらいたいと思います。
鳥越には「おかず横丁」という商店街もあり、閉店してしまった店も多いものの、古くからの佃煮屋さんとか、昭和初期の看板建築の店舗なども現役で残っており、散策するのが楽しい街です。最近は空き店舗や閉店してしまった古い家を使って、おしゃれな雑貨等を売るところも増えてきました。 貴重な「街の風景」、いつまでも残っていてほしいものです。













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